私の考える、「いい記事」の条件

私の考える、「いい記事」の条件

ライターなら誰しもが書きたいと思っている「いい記事」。私だってできれば、いい記事を書きたいと思っています。

だけど、そもそも「いい記事」ってどんな記事なのでしょうね?

特にここ1年来のコロナ禍のあれやこれやを通じて考えた、私が考える「いい記事」のポイントを、ちょっと書き残しておこうと思います。

今回のポイント

  • いい記事は、読んだあとに変化を促す
  • 変化はすべてのKPIのベースかも
  • 本当は怖い、変化を促す記事。だけど私は書き続けたい
  • 最初に

    最初に、今回のブログの前提条件を書いておこうと思います。

    今回話すのはよい「記事」、とくにWEBメディアや企業ブログなどに掲載される記事の話です。

    個人のブログの文章はまた別です。SNSの文章もまた違います。小説や詩、エッセイなどの文芸作品もまた違います。

    よい「文章」の話はしませんので、ご了承ください。

    いい記事は、読後に変化を促すもの

    結論から言うと、私が考える「いい記事」は、読んだあとにちょっとした「変化」を促すものです。

    なぜそう思うのか。これはおそらく、私がライターになったきっかけや、ライターになった当初に手掛けていた案件に非常に深く関係があると思うので、まずこれを説明させてください。

    私が「変化」を重視する理由

    私がライターになったきっかけは、株式会社ウインアンドウインネット(現・株式会社グリーゼ)のメルマガライター養成講座を受講したことでした。

    なぜメルマガライター養成講座を受講したかというと、当時ある楽天市場のショップさんのメルマガをとても楽しみにしていたからなんですね。担当スタッフさんの人柄が伝わってくる優しい文章で、販売アイテムをすごく魅力的に紹介している文章だったのです(なお、そのショップさんは数年後に閉店されました)。

    当時、私は専業主婦でした。ただ、漠然と「また仕事はしたい」と思っていました。子供の頃から文章を書くのは好きだったので、文章を書ける仕事ができたらうれしいなあとも思っていました。

    だから「これだ!」とピンときて受講したわけです。

    こういう動機でライターになったのですから、ライターデビュー当初はメルマガとかECサイトの商品紹介とか、そういうものを中心に書いていました。

    で、ですね。

    メルマガとかECサイトって、どんないい文章を書いても、URLもしくは購入ボタンをクリックしてもらえないと意味がないんですよ。

    タイトルもURL前のキャッチも、すべての文章は「クリックしてもらう」ために存在するんです。「読んでもらう」では不十分で、そのあとに「クリックしてもらう」というアクションを促さなければいけない。

    こういう文章を書くところから、私のライター人生は始まりました。

    この経験がベースにあるからこそ、私は「何かしらの変化を促す記事が良い記事である」と考えています。

    メディアの記事の多くは変化を促すためにある

    企業(メディア)が出す文章のほとんどは「なんからの変化を促す」ために発表されるのではないかと思っています。

    私が書いていたメールマガジンやECサイトの文章は言うまでもありません。オウンドメディアの記事であれば、知識を伝えることで、見込み客すなわち読者に商品やサービスについての理解を深めたり、親近感を持ってもらったりするという目的があるでしょう。理解を深める、親近感を持ってもらう、いずれも「変化」です。

    メディアによるとは思いますが、SEO記事も「変化」を意識します。

    これはなぜかというと、検索エンジンは検索者の意図に応える記事を高く評価します。この意図を、SEO記事は結構深く考えます。

    たとえば「ライターになるには」という言葉で上位表示される記事を書くとしましょう。この場合、まず「ライターになるには」で検索する人の意図を考えます。そしてその意図に応える内容を盛り込んだ記事を書きます。

    このとき、単純にライターになる方法だけを考えてはいけない、と考えるメディアは多いんですね(これが良いか悪いかは別問題)。

    メディアは「ライターになるには、で検索する人は、ライターになる方法を探している人だ」とは思いません。「ライターになるには、という言葉で検索する人は、ライターになるための一方を踏み出したいと考えている人だ」と考えます。

    となると、その意図に応えるにはライターになる方法だけを書いてはいけない、と考えます。ライターになる方法を書いた上で、ライターになろうという前向きな一歩を踏み出せるような記事を書くべきである、と考えます(繰り返しますが、この考え方が良いか悪いかは別問題です)。

    こういった理由から、私は少なくとも企業やメディアが出す記事のほとんどは、何らかの変化を読者にもたらすためのものだと思っています。だから、この目的にかなったきちんと変化を促せる記事が良い記事であると考えます。

    ※もちろん、そういう変化を促す必要がない記事も多くあります。代表的なものは報道でしょう。報道記事については正確性が最重要です。読後に「へー」があればそれでいい、というメディアもあると思います。

    記事を書くのは怖くて難しくて、そして楽しい

    変化を促すのがいい記事である。とは考えているのですが、変化を促すことは同時にとても怖いことです。

    なぜなら、まず、その変化が自分が意図した方向のものとは限らないからです。そしてまた、意図した方向への変化であっても、それが読者にとって良いとは限らないからです。

    たとえば、ある商品を買ってもらえるように商品ページの説明を書いたとします。結果「やっぱりやめておこう」となるだけならまだいいのですが、「よし、買うか!」と思って買った結果、その人がどうなるのかまではわかりませんよね。

    もしかしたら、大失敗の買い物になってしまう可能性だってあるわけです。

    もちろん、そこまでこちらが責任を感じる必要はないと思います。最終的にこうしようと決めた人はその人なんですからね。メリデメともにきちんと情報を盛り込んでいたならば、特に問題はありません(もちろん、いいことしか書いていなかったというのは論外です)。

    ちょっと話はそれますが、学生の頃、森瑤子さんの本を読んでいました。エッセイも小説も大好きだったのですが、エッセイにこんなものがありました。

    あるとき、森瑤子さんは一通の手紙を受け取ります。その内容をかいつまんで紹介すると、以下のとおり。

    差出人の妻が不倫をして家を出ていった。残された差出人(夫)は、妻の本棚に森瑤子作品がたくさんあるのに気づき、読み始める。最初は不倫の話ばかりで、森瑤子という作家は不倫をそそのかすひどい作家だと思った。しかしよく読んでいるうちに、それは違うと思い始めた。妻がきちんと作品を読んでいたら、不倫をして家を出ていくようなことはしなかっただろう。私は今、あなたの積極的なファンです。

    その手紙を読んだ森瑤子さんは、静かに涙を流したのだとか。

    作家さんと自分をならべて語るのは非常におこがましいのは百も承知の上で言うと、記事を書いていると、ときどきこの話を思い出します。そして、願わくば私の記事がきっかけで、読んだ人に嬉しい・楽しい方向への変化が生まれていたら嬉しいなあと思います。

    とはいえ、読者は他人。あまりよく知らない他人を、言葉だけでこちらの思った方向に変化させようなんて考えるのは、本当はおこがましいのでしょうけどね。

    だけど、それでもやっぱり、ちょっとでいいから「読んでよかった」と思ってもらいたい。お得感を持ってほしい、ちょっとでいいからいい方向に気持ちや気分を変えてほしい。

    そんなことを思いながら、今日も記事を書いています。

    About This Author

    鶴原早恵子
    京都在住フリーライター。SEO記事から取材・インタビュー記事まで作成。取材可能範囲は関西中心に、全国・リモートも対応いたします。鉄道・お出かけ系記事の場合は写真も自分で撮影可能。鉄道好きなのに乗り物酔い体質なのが悩みのタネ。